「先生、バナナはおやつに入りますか?」の質問が有名なように、我々の生活にとても馴染み深いバナナ。
世界でのバナナの歴史は古く、今から3000~4000年前にはマダガスカル島や東アフリカ大陸に上陸したと考えられています。
日本ではいつごろ入ってきて現在に至るのでしょうか?
今回は日本におけるバナナの歴史についてご紹介します。

戦前のバナナの歴史

日本 バナナ 歴史

バナナが日本に初めて入ってきたのは今から100年以上前の明治時代のことです。
明治36年頃(1903年)に当時日本領であった台湾から移入という形で神戸港へ上陸したことが始まりです。
そこから20年ほど後の大正14年頃(1925年)には日本の主要都市である東京、横浜、阪神、下関、門司の5箇所に台湾からのバナナを入荷するための組合が設立され、取引が統一されたことにより、輸入を拡大して販売される流れになりました。
明治時代や大正時代は高価な果物であったため、なかなか生活には馴染みがありませんでしたが、昭和2年頃(1932年)には一般庶民の間にもバナナが広がっていきました。
その背景には、バナナの値段がこの時期に安くなったということがあげられます。
同グラムの卵よりも同グラムのバナナの方が安かったというのですから驚きです!
栄養も高く、甘くて美味しい。それに加えて安いバナナが庶民の間で広まっていったのは自然なことですね。
太平洋戦争が始まる前までもバナナの入荷量は多いままでしたが、戦争が始まると一転入荷量は減少の一途を辿ることになります。

戦後のバナナの歴史

終戦後の昭和24年頃(1949年)になると再び台湾との協定が結ばれ、日本にバナナが入荷されるようになりました。
しかしこの頃のバナナは非常に高く、庶民の手には到底届かないような値段でした。
昭和38年頃(1963年)になると、日本政府がバナナの自由化をしたことにより、エクアドル産のバナナが多く輸入される流れになりました。
当時、エクアドル産のバナナは新興勢力として勢いがありましたが、台湾バナナより少し甘味の少ない品種を作っていたこと、日本人は台湾バナナの味に馴染みがあったことから徐々にエクアドル産バナナの入荷量は下がり、再び台湾バナナの入荷量が増えることとなりました。

スポンサードリンク


1970年前半にはエクアドルで作るバナナの品種が変わったこと、また台湾バナナは入荷が不安定なことからエクアドル産のバナナが盛り返してきます。
しかし、その頃にはフィリピン産のバナナも入荷されつつあり、このフィリピン産のバナナが人気を博します。
現在でもバナナといえばDoleというぐらい有名なブランドですよね。
このようにバナナとひとえにいっても色々な国が関わって現在に至るのです。

まとめ

今回は日本におけるバナナの歴史についてまとめてみました。
昔のバナナは高い!というイメージしかありませんでしたが、バナナの値段も時期によって上下しており様々であるということがわかりました。
台湾やエクアドル、フィリピンでバナナを入荷してきましたが、それぞれで味に違いがあるそうです。
年代の差によって、バナナを食べた時に「懐かしい」と思う味は違うということでしょうね。

スポンサードリンク

今のあなたにおすすめの記事

スポンサードリンク